仙台すずめ踊りは、慶長8年(1603)、仙台城移徒式(わたまししき=新築移転の儀式)を終えた宴席で、泉州・堺(現在の大阪府堺市)から移り住んだ石工たちが、伊達政宗公の前で即興で披露した踊りにはじまるといわれています
小気味よいテンボ、躍動感あふれる身振りや手振り、跳ね踊る姿が、雀の姿に似ていることや、伊達家の家紋が「竹に雀」であったことから「すずめ踊り」と呼ばれるようになり、長く親しまれてきました。
戦前までは石切町(現在の仙台市青葉区八幡)の石工たちによって踊り継がれ、大崎八幡宮の祭礼には毎年「すずめ踊り」を奉納するのが通例となっていましたが、戦後は次第に継承者を失い、昭和25年(1950)の瀬田谷不動尊※の宵祭りを最後に踊りが途絶え、わずかに残った石工たちによってひっそりと受け継がれていました。
※泉州・堺から移り住んだ石工たちが暮らした町・石切町(現在の仙台市青葉区八幡)にある不動尊。石工たちの守り本尊であったことから別名石切神社とも呼ばれている。
定禅寺通りでの仙台すずめ踊り
そこで、仙台・青葉まつりでは途絶えかけた郷土芸能としての伝統を守るため、伝承者である黒田石材店17代当主・故黒田虎雄氏の指導を仰ぎ、「すずめ踊り」を復元。昭和62年(1987)第3回仙台・青葉まつりより『仙台すずめ踊り』としてコンテストを開始し、各地で講習会を開くなど『仙台すずめ踊り』の伝承・普及に力を注いできました。
現在、『仙台すずめ踊り』は老若男女誰にでも楽しめる踊りとなり、400年の歳月を超え甦りました。毎年5月に開催される仙台・青葉まつりでは、5,000余名により盛大に踊られ、また、仙台・青葉まつりはもとより市内のおまつり・イベントをはじめ、全国さらに海外にも活躍の場を広げています。